カタカタと窓の揺れる音に外を見ると、この数日の寒さで一気に黄色く色づいた木の葉が風の中で踊っているのが見える。
今日は風が強いな、と外の寒さを想像して上着を手に取った。
「花乃ちゃん、一緒に帰ろう」
「うん。遠子ちゃん今日はそのまま帰るの」
「今日は晩御飯を作る日なの」
「そうなの?」

教室を後にしようとする私たちに、いくつもの「バイバイ」という声がかけられる。
その一つひとつに「バイバイ」と返しながら廊下に出ると、暖かい教室の中とは別の空気がそこには漂っていた。
「寒くなったね」
「そうだね」
親しい人とはなぜ、他愛もない会話だけで延々と場を繋げることができるのだろう。それが初対面の人になったら、ああでもないこうでもないと会話を探さなければいけないのに。
なんともいえない心地よい空気が流れている。この瞬間が好きだな。


靴を履いて校舎から出れば、一際大きな風が私たちに吹き付ける。遠くでけたたましい音を立ててどこかの扉が閉まる音がした。
「わあ」
慌てて、かき乱される髪を根元から押さえる。大きな木の葉が舞い上がって夕陽を遮った。
(あ、キレイ)
そう思って花乃ちゃんを見ると同じように彼女がこちらを向く。
にこ。口の端が小さく持ち上げられるのを見て、私自身の表情も緩むのが分かった。

(今たぶん同じことを思った)

そう思うだけで特に何を話すでもないのだが。
――それが、私と花乃ちゃんの心地よい距離感。
顔を上げて前を向くと、前方から歩いてくるジャージ姿の女の子が二人視界に入った。
「あ、芽衣ちゃんと幸葉ちゃんだ」
「ほんとだ」
二人もすぐにこちらに気づいたらしく、愛らしい笑顔を振りまきながら駆け足でこちらに向かってくる。
どちらも学校指定のジャージをはおり、肩からスポーツバッグをかけている。
「二人とも今から部活?」
「「ハーイ」」
明るい返事が二つ重なる。それが面白かったのか、二人は顔を見合わせて笑い合った。
“なんでもないこと”で楽しくなれるのは、この二人も私たちと同じみたい。きらきらと輝く笑顔がよく似合う。

「今ちょうど、この前『クラフト講座』で作った作品を見せ合いっこしてたんです」
幸葉ちゃんがふわりと笑って、それまでの会話を報告してくれる。
「わ、いいね。見せて〜!」
はしゃぐ私に、花乃ちゃんがこちらを見た。
「クラフト講座って、こないだ被服部がやってたやつ?遠子ちゃん行ったんだ」
「うん、花乃ちゃんも来ればよかったのにね」
「うーん用事あったからなぁ」
「この前、可愛いネズミ作ってくれたのに」
「あれはウサギだっ!」
「あはは、そうだった」
いつぞやの、『気が向いたから』と差し出されたプレゼントを思い出して小さく笑うと、興味津々といった様子で芽衣ちゃんが身を乗り出した。
「ネズミみたいなウサギだったの?」
「そうそう。かわいいんだよ」
「もーいいよ!で、芽衣ちゃんたちは何作ったの!?」
バツが悪そうに話題を転換する花乃ちゃんの頬が少し赤い。
幸葉ちゃんと芽衣ちゃんは再び顔を見合わせると、ニコッと音が聞こえそうなほど鮮やかに微笑んだ。
誰かに見せたかったのだろう、自分たちの自慢の作品をごそごそと鞄から引っ張り出す。

「「せーのっ」」


二人同時に取り出したのは、つぶらな瞳が愛らしい一匹の黒ネコと、見るからに触り心地の良さそうなふわふわのヒツジ。


「……基明くんの相棒の“にゃま太”?」
「幸葉ちゃんのヒツジ枕?」


先日のクラフト講座で作ったというにはよく見知ったアイテムに、花乃ちゃんと私はきょとんとする。その反応が欲しかったという風に、作者の二人は楽しげに笑った。
「「ちがいます〜」」
「ええー?」
パッと見では違いが分からないほど本物そっくりの二作品に、私は純粋に感心する。二人とも、スポーツだけでなく裁縫もお得意のようだ。
「何が違うの?」
花乃ちゃんもまじまじと二人の手の内を見る。
しかしよく見れば、確かに本物とは違うところが発見できる。それを見つけた私は思わず、これを作っているときの二人の姿が浮かんで幸せな気持ちになった。
花乃ちゃんも同時に合点がいったのか、ポンと手のひらを打つ。
「あ、にゃま太にはリボン!ヒツジ枕には……ああ!」

「「「ほっぺに絆創膏」」」

幸葉ちゃん以外の全員が口をそろえる。
とある男の子を連想させるその“オプションアイテム”。
「裕也くん用の枕にと思って」
はにかんで笑う幸葉ちゃんは、ヒツジの頬にはられた絆創膏のアップリケをいとおしげに撫でた。
「これで二人一緒にお昼寝できるね」
「はい」
照れながらもしっかり頷く彼女に、『幸せ』というものの形を見た気がする。
その隣で芽衣ちゃんは裕也くん用のヒツジ枕をツンツンと突いた。
「でも、ゆーや君はこよちゃんの枕が良かったんじゃないかな〜?」
「あ、そうだね!裕也くん残念〜」
「え!?そんなことは……」
赤く染まる頬は、時間とともに色を濃くする夕陽のよう。幸葉ちゃんは自分で作ったヒツジで顔を隠した。
「いいね〜幸せそうネ〜」
芽衣ちゃんがにゃま太の手と口をパクパクと動かしながら、裏声で冷やかしを入れる。
パク!と幸葉ちゃんのヒツジに食いつくしぐさをすると、幸葉ちゃんはヒツジをもふもふと動かしてじゃれあい始めた。
そんな二人の姿が可愛くて、私たちは自然とあったかい気持ちになる。

「芽衣ちゃんのは、にゃま太のペア?」
私の問いかけにこちらを向いた芽衣ちゃんの顔が、パッと閃いた。
「そうだよ〜。おそろいで作っちゃった!」
にゃま太そっくりの姿に、ワンポイントのオレンジのリボン。それはなんとなく元気な芽衣ちゃんを想像させた。
「じゃあその子は“にゃま子”だね」
花乃ちゃんがまじめな顔をして呟く。
その独特のネーミングセンスに全員が吹きだした。
「にゃま子!」
「もっと可愛い名前にしてあげてよ!」
「えー、じゃあ“にゃま美”?あれ、生身みたいな語感になった」
花乃ちゃんのさらに酷い名前候補に一同がお腹を抱えて笑い出す。
「あはは、じゃあそれ“にゃま江”だと、名前みたいな感じになるねっ!」
「だめだ“にゃま子”もなまこと同じ語感だ」
「やだお腹痛い!」
笑い転げる三人に、花乃ちゃんも可笑しそうに笑った。
「にゃま子だって、どうするー?『えー、にゃま太くんとつりあうステキな名前にしてヨー?』」
芽衣ちゃんがにゃま子(仮)で一人芝居を始める。
「て、あっ!!」
しかしすぐに何かを見つけたのか、彼女は大きな声を上げて校舎の方を振り仰いだ。その反応につられて、私たちも顔を上げる。
「――あきくんだ!」
え?どこ?
三人がきょとんとする中、芽衣ちゃんはそちらに向かって大きく手を上げた。
「あーきーくーんっ!」

見上げた校舎の廊下に立っていたいくつかの人影が、大きな声に気づいてこちらを振り返る。
3階の教室の前に立つ、基明くん達だった。
「あれー芽衣ちゃん?今から部活ー?」
ガラス窓をあけて、基明くんがこちらに顔を覗かせる。
彼の後ろには、冷紀くんと月城くんの姿が見えた。彼らも何事かと身を乗り出す。

「ねえ見て!にゃま太とおそろいで作ったんだよ!!」

芽衣ちゃんが嬉しそうに、基明くんにそれを見せようとブンブンと大きく腕を振る。
しかし、それがいけなかった。


あまりに力を入れて大きく振りすぎた勢いで、にゃま子(仮)が彼女の手からスポッと抜けて――宙を、舞う。


「――え?」


あ、と思った時には既に、強い遠心力によってそれは空高く放り出されていた。
さらに折から吹いていた風が、一段と強く吹き抜けてにゃま子を舞い上がらせる。
まるでコマ送りで映画を見ているように、リボンを付けた黒ネコが校舎のそばに立つ木の陰に吸い込まれていくのを、全員がぽかんと見送った。

我が目を疑ってみんながパチパチと瞬きをする音が聞こえる。
「え、芽衣ちゃん何技?」
「ミラクル……」

「え!え!どうしよう!?」

木の高い枝に逆さまの格好で引っかかった、にゃま子。
ちいさくパニックになる芽衣ちゃんに、花乃ちゃんが落ち着き払ってぽんと肩をたたいた。
「私が登って取ってくるから」
「え、花乃ちゃん危ないよ」
「うん大丈夫」
そう言って身軽に駆け出す花乃ちゃんを止める術が私たちにはなかった。
確かにこの中では、一番の適任者かもしれない。
けれど――彼女が木に手をかけるよりも早く、校舎の3階にいた基明くんが窓に足をかけて飛び出していた。

「あっ」
「おい基っ!?」

冷紀くん達の慌てた声に、木に飛び移った当の本人はあっけらかんと笑う。
「あ、なんか思う前に体が動いてたや」
下から見上げる私たちも、呆気に取られてしまう。
「え、相葉、大丈夫……?」
普段からよく木の上にいたりする花乃ちゃんにとっては、自分が登るより不慣れな人がそこにいることの方が怖いらしい。ハラハラした様子で声をかける。
「だいじょぶ!だいじょぶ!ほら!芽衣ちゃん取ったよー!」
「あきくん!」
心配と焦りで今にも泣きそうな芽衣ちゃんに向かって、にゃま子を掲げた基明くんが手を振る。
「ほら、もう泣くなー?こっちも元気だぞ」
ぐっ、ぱっと、にゃま子が全身を使って元気をアピールする。さすがいつもにゃま太を相棒にしている基明くん。くるくると表情を変えて、まるで生きているみたいににゃま子が動く。
それを見て芽衣ちゃんがようやく小さく笑った。明るくなったその顔に、彼自身も表情を柔らかく緩める。


「あ、でも――」
ふと基明くんが視線を上に向けた。


「本物のネコがいる」


見ると、彼のいる枝よりさらに上、その手がぎりぎり届かない位置に一匹のネコが身を丸めて震えている。
木に登ったまま、下りられなくなってしまったのだろうか。重心を低く保ってジャンプの直前という体勢のまま、固まってしまっているようだった。
基明くんは何の躊躇もなく、そちらに手を伸ばす。
「そこ、下りられないの?こっちおいで」
優しく語りかける声にネコもこちらをじっと見つめるが、飛び出すタイミングを伺ったままで動かない。
やはり高さがあるためか、着地し損ねる危険性を察しているようだ。
「――怖くないよ。俺が受け止めるよ」
にゃま子を捕まえた反対の手を伸ばし、基明くんは再度ネコに声をかける。
届きそうで届かない距離にぐっと背を伸ばそうとするが、にゃま子を抱えているせいで上手くバランスが取れないらしい。
強く吹き付ける風にも邪魔されて基明くんの体が揺れる度に、一同が声のない声を上げる。
「誰かはしご持ってきて!」
「分かった!」
芽衣ちゃんの呼びかけに、そばにいた数人の生徒が用具倉庫に走り出す。
「基、手を木から離すな」
「危ないですよ、背伸びはダメです!」
「うーんもうちょっとなんだけど……」
月城くんや幸葉ちゃんたちに上から下からかけられる声。分かってるよ、と返しながらも基明くんが諦める気配はなく、じっとネコと視線を合わせて自分の方へと誘導している。
視線を固定しているから、足元は探りさぐりでの移動を余儀なくされ、それが私たちをさらにハラハラさせる。
「相葉!先にパペットこっちに落として!」
花乃ちゃんの提案にも、彼は首を縦に振ろうとはしない。


「――だめだよ、乱暴に扱っちゃあ。せっかく芽衣ちゃんが、にゃま太とおそろいで作ってくれたのにさ」


その言葉がきっと、風を呼んだのだ。
芽衣ちゃんが目にたまった涙をぬぐって、息を吸う。


「あきくん!がんばって!!」


吐き出された大きな声に呼応するように、一陣の風が巻き起こった。


まるで芽衣ちゃんから基明くんへとまっすぐ突き抜けるように、その風は木の葉を、枝を揺らして騒ぐ。
それに驚いた拍子にネコがパッと枝から飛び降りた。
「あっ」
一同が息を呑む。


温かい手のひらが、空を掻いた。


「キャッチーー!!」

ネコとにゃま子を両腕に抱えて、基明くんが満面の笑みでこちらを振り返る。
ハラハラし通しだった私たちは、一気に気が緩んで大きな安堵のため息を吐いた。
「よかったぁ……」
ようやく出せた声も、のどがカラカラに乾いていて掠れてしまう。
「心臓に悪い!」
「ど、どうなるかと……!」
花乃ちゃんが大きく一つ地団太を踏み、手に汗を握った幸葉ちゃんは、私の肩に軽くもたれるように額を押し付ける。
「当人元気で、逆に俺たちが疲れるって……」
校舎側で気を揉んでいた冷紀くんたちも胸を撫で下ろしたようだった。

「はしご持って来たぞー!」
駆け寄る生徒たちの手で木にはしごがかけられ、それを足がかりに基明くんが地上へと降りてくる。
抱えていたネコを離すと、一目散に駆け出して校舎の裏手に消えていった。それを嬉しそうに見送る基明くんの顔は、とても晴れ晴れとしている。
けれど裏腹に、思いつめた顔をしてそれを見ていた少女がいた。
「っ!あきくんっ」
ぎゅっと握り締めた手が白くなっている。彼が木の上にいる間中ずっと、その手は握り締められていたに違いない。
ごめんなさい――芽衣ちゃんの口がそう開きかけたが、基明くんの声がそれに被さった。


「芽衣ちゃん!すごいね。風を呼んだの?」


楽しげに笑う姿が、彼女の目に鮮やかに焼きついていた。
だから彼女も、泣きそうな、でもとびきりの笑みで彼を迎える。


「うん、そうなの。あきくんに向かって吹かせたんだよ!」


きっとその通りだ。
彼女の周りにはいつも、輝く風が集まっていく。



風をあつめて、めいっぱい





運命を引き寄せていく、あなたの姿を、ずっと見ていたい。



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