――――パサッ。
目の前で取り落とされた“ソレ”に、私たちの目は釘付けになる。

『その一瞬、世界が凍りついて見えたの』
そう後に語ったのは、この時の一部始終を共にした音葉先輩。

放課後たまたま訪れた、駅の近くの本屋の一角。
きれいに平置きされた雑誌の上に落ちた一冊に、私たちは動揺を禁じえなかった。


きゅっと音葉先輩が私の袖口をつかむ。私もそれにすがるようにして手を組む。
一歩引いてしまった足に罪悪感を覚えて何とか踏みとどまるも、その指先は震えていたかもしれない。
ううん、だめよ私!人にはそれぞれ趣味趣向というものがあって、たとえそれがどんなモノであったとしても、それを否定したり嗤ったりなどというのはあってはならないことで、例えばそれがその人の外見からまったく想像できないモノの類であったとしても、それを好きなその子こそが本来の姿なのであれば私たちはむしろそれを肯定して然るべきであり、つまり――。


「稜悟くんって、そういう趣味だったの……」


混乱する私の目の前で、隣に立つ音葉先輩が決定的な一言を告げた。
視線はあさっての方向に投げられたまま。

人類滅亡の知らせを聞いたような顔でフリーズした彼――稜悟くんは、こちらと同じように目線を泳がせて変な汗をかき始めた。
「……――だっ、だいじょぶだよ!見なかったことにするよ!ねぇ音葉先輩!?」
どうにかこの不穏な空気を打破しようと無理に明るく装った声は、想いとは裏腹に変に裏返ってしまう。
「そ、そうね遠子ちゃん、私たち何も見なかった」
「趣味は人それぞれだし、大丈夫、稜悟くんは稜悟くんだよ?」
「え、いや、待って!俺」
「さー行こうか遠子ちゃん」
「そうですね。あ、おいしいクレープとか食べに行きませんか?」
「ちょ、あ、」
「いいね〜!私いちごの入ったやつがいいな!生クリームたっぷりの」
「私はやっぱりチョコバナナですね〜」

「「……あ、じゃあ稜悟くん、私たちはこれで……」」

わざとらしく視線をそらしスタスタと足早に立ち去ろうとする私たちに、ようやくフリーズの解けた稜悟くんは慌ててその行く手を阻んだ。

「〜〜〜〜っ!違い!ます!からっっ!!」

相対する、三人の影。
稜悟くんの必死の形相と真剣な眼差しが、私たちをその場に縫い付ける。


「とりあえず、本買ってきます。俺もクレープ行きます」

――そうか、買うのか。



***



「だーかーらー違うんです。誤解です。俺のこの目を見てください!」
「無理しなくていいのよ“稜子ちゃん”」
上機嫌にクレープにかじりついたのは音葉先輩。
その隣でわめく稜子ちゃん――もとい、稜悟くんが本日買い求めた雑誌が、私たちの座るテーブルの真ん中に鎮座している。
ピンク色の淡い色合いに、ふんわりとした装飾が目を引く表紙には、

『簡単!はじめてでもできる♪かわいい手芸小物☆』

これまた可愛くアレンジされた文字が並んでいる。
なんだか居たたまれなくなって、私はその本から視線をそらした。

生暖かい目で微笑む音葉先輩と視線を合わせられない私に、稜悟くんが頭を抱える。
その手の中のクレープは、ぎゅうと握られて今にも中身がこぼれ落ちそうだ。
「稜子ちゃんクリームこぼれるよ」
「あ、まじで……って春川までっ!」
まるで裏切られたというように顔面蒼白の稜悟くんがかわいそうで面白くて、思わず吹き出す。
「あはは、冗談」
「ホント違うんだ俺じゃない。いや、俺だけど……いやそうじゃなくて」
ハイハイ、と音葉先輩が顔に貼り付けた笑みを深くする。
「え〜なあに〜?稜子ちゃんはどうしてもソレを買わなければならなかった“のっぴきならない理由”があったってこと〜?」
「いや、えっと」
口ごもる稜悟くんにますます疑いを色濃くした音葉先輩が、身を乗り出すようにして彼に詰め寄る。
「うん?何カナ?よく聞こえないよ?」
光臨した“音葉さま”に逆らえる庭束っ子などいただろうか。
稜悟くんも、観念したというように大きな長いため息をついた。

「つまりですね。俺じゃなくて、えっと、俺の友達……いや、知り合い?がこういうの好きで。ほら、もうすぐクリスマスとかだし、何かこう、プレゼントしたいなって?でも何が良いかとかよく分かんなくて、好きなそうなものっていったら、これかなーって」
クレープを手の中で遊ばせながら、視線を泳がせる稜悟くん。だいぶ歯切れの悪いその“のっぴきならない理由”を、音葉さまは次の一言で一刀両断した。

「つまり好きな子のクリスマスプレゼントに手作りのプレゼントあげちゃうってことー?」

ああっ、ストレートすぎます、先輩。
稜悟くんの頬にサッと朱が走る。いつもどちらかというと落ち着いた雰囲気の稜悟くんが、今日は青くなったり赤くなったりと忙しい。そんな表情もするんだな、と私は変に感心してしまった。
でも恋をするって、あたふたして、そわそわして。自分が自分じゃなくなるみたいな、そういうものかもしれない。

「でも手芸って、稜悟くん家庭科できるの?」
「ぎくっ」
「あちゃー」
指に針を刺したりミシンと苦闘したりする稜悟くんが、私たちの頭の中に鮮明に思い浮かぶ。
「誰か手伝ってくれる人とかいないのかな?」
そう誰か裁縫の上手い――。そこまで考えて、私は「あっ」と声を上げた。
「そうだ良いのがあるかも!コレ、どうですか?」
急に思い出した妙案に、私は心の中で拍手する。
鞄の中をごそごそと漁って引っ張り出した一枚の紙切れに、二人の視線が集中した。


「「被服部 手づくりの秋を満喫♪ 手芸クラフト講座  参加者募集中」」


「なにこれー!いいじゃないっ!コレどうしたの、遠子ちゃん?」
「今日たまたま幸葉ちゃんと芽衣ちゃんに会ったら、この話をしてて私も誘われたんですよ」
「ちょうどいいね!これで安心じゃん、ね、稜悟く……」
「稜悟くん?」
ふとチラシから顔を上げると、盛り上がる私たちを残して稜悟くんが音も立てずにその場を離れようとしているところだった。
――ん?
「あ、や、俺、用事思い出したんで。帰りますね?」
そそくさ、という言葉がこれほど似合う場面が今までにあっただろうか。
きょとんとする私を尻目に、隣に座る音葉先輩の瞳がまるで獲物を狙う鷹のように鋭く光ったのが見えた。

「――ちょい待ち稜悟くん……?」

音葉先輩は一ミリも動いていない。けれど、稜悟くんはまるで両肩を掴まれたかのようにピクリとも動けないでいる。
ニッコリ。
上品な貴婦人のように足を組みかえる音葉先輩に、私も身動きをとれないでいた。

「ここで、この良案を無碍にして立ち去るっていうの?そう……つまりは“いる”ってことかしらぁ?――被服部に」

え?
何がいるの?
ハテナマークを浮かべて私が稜悟くんの方へ首を向けると、打ちひしがれたように天を仰ぐ彼の姿が見えた。
その様子に、ああそうかと私も合点する。
つまりはいるのだ。
稜悟くんの“好きな子”が。“被服部”に。

「えっとぉ山吹ちゃんは彼氏がいるし〜、優菜ちゃんもだし〜。英ちゃん?それとも――」
メンバーを読み上げ相手の特定を図ろうとする運びにハッとなって、音葉先輩の口をつぐもうと私は立ち上がった。
「音葉先輩っ」
「――黒崎さんかな〜〜!?」

時すでに遅し。

稜悟くんの顔がサッと色を変えた。

「そうかそうか、黒崎さんね〜やだ意外!清楚な子がタイプなの!?ねえねえそうなの?」
「ちょ、もう、まじで、勘弁してくださ……」
「りょ、稜悟くん……」

きっと今、一番知られてはいけない御方に事実が漏れてしまったのだ。
音葉先輩はとびきりキュートな、それでいてとびきり人の悪い笑みを浮かべて、広げたチラシを手に稜悟くんの目の前に掲げてみせた。

「行くわよっ!クラフト講座!!」

『否』と答えられる稜悟くんは、はたしてこの世にはいなかった。
「さ、そうと決まったら山吹ちゃんに参加のメール送信〜☆稜悟くん、何作る!?材料買いに行かなくちゃっ!」
嬉々として話を進める音葉先輩に気圧されて、意識が遠のきそうになっている稜悟くん。私もその光景に泣きそうになって目を閉じた。
(ごめん稜悟くん、私がチラシを差し出したばっかりに……)
心の中で懺悔して、天に祈る。ジーザス。稜悟くんに幸あれ。


***


そうして訪れた、クラフト講座当日。
わいわいと賑わう被服室の中は、被服部の面々によって可愛らしくデコレートされていた。壁には布で作られた色とりどりのコサージュが飾られ、天井には小鳥たちが舞っている。
「わぁすごーい」
「可愛いねぇ!」
私にこのイベントを紹介してくれた幸葉ちゃんと芽衣ちゃんも、それぞれに材料を持ち寄ってきていた。
ホスト側の山吹先輩たちも開始を前にして、慌しく動き回っている。
その中にぎこちない様子で座る男子生徒が一人。稜悟くんは今にも席を立ってしまいたそうにしていた。
参加者の中に男子は一人のようで、ファンシーに色付けされた教室の中は、少し居心地が悪いかもしれない。
その様子を、私と音葉先輩は廊下側から扉越しに覗き込む。

『音葉先輩は参加しないんですか?』の問いに、『こういうのは外から見る方が断然面白いじゃない!』と、きらきら輝く瞳で返された私は『そうですね』と答える他なかった。

「ちょっと稜悟くん〜ほらっもっと彼女の方に近寄っておきなさいよ!ほら!作り方とか教えてもらうのよっ」
小声で茶々を入れる音葉先輩。くいくい!と指差しと視線で稜悟くんに合図して無理やり席を変わらせようとする。
うな垂れながら席を立った稜悟くんは、でもどこか腹をくくった風に黒崎さんの座るテーブルへと移動した。
「よし!ナイスポジ!」
席に着きつつ、稜悟くんは黒崎先輩ににこりと笑って声を掛けている。
「カッコ付けてるぅ〜」音葉先輩の茶化す声が隣で聞こえた。


「こんにちは。よろしくお願いします」
「あら、槇原くんも参加してくれるの。珍しいのね?」
「あ、えーっと、ちょっとプレゼントに!作りたいものがあって」
「プレゼント?手づくりのものをあげるなんて、ステキね」
ふわりと微笑む黒崎先輩に、稜悟くんの表情が目に見えて輝いた。
「え、黒埼先輩は、手づくりの物とかもらって、嬉しいですか?」
「ええ、私だったらとても嬉しい」
その一言に、稜悟くんが机の下で力強くガッツポーズするのが、私たちの方からはよく見て取れる。
「今、なにげに『黒崎先輩は、嬉しいですか?』って聞いたよ〜。や〜ら〜し〜」コソッといちいち入る茶々に、私も思わず小さく吹き出した。

「槇原くんはいったい誰に作ってあげるの?」

ニコニコと実に善良な笑みを浮かべる黒崎先輩の何の衒いもない質問に、今、私たちの視線が一気に集中する。

今よ!ここよ!言ってしまいなさい!?

音葉先輩の熱のこもった視線にも気づかず、稜悟くんの頭の中がグラグラと揺れているのが手に取るように分かった。
目を白黒させて、言うべきか言わざるべきか、頭を高速に回転させている。

「お、おれっ」

言うのか。

「実は……」

言ってしまうの!?

「い、妹に!作ろうと思って!?」
「あらそうなの。槙原くんって妹さんいたのね、初耳だわ」

ガタガタガタッ。
私たちが二人して、崩れ落ちたのは言うまでもない。
((妹とか!?いないでしょ!??))
音葉先輩と二人して崩れ落ちた拍子に、扉の向こうに身を乗り出してしまい、教室中の視線が私たちに注がれた。恥ずかしい。

「どうしたの二人とも、早く入ってきなさい!」
――山吹先輩の鶴の一声で、私たちもすごすごと一緒に席に着くことにした。


***


「ここって、どうやって縫うんですか?」
「このボタン、こっちの色にしてみたらどうかなぁ?」
それぞれのテーブルで、みんなが思い思いに作業を進めている。和やかな雰囲気が漂う室内で、私と音葉先輩も材料選びをさせてもらう。
「音葉先輩は、なにか末口先輩にあげるんですか?」
「え〜前にあげたことあるし、別にもういいんじゃない?」
あれ、いいんデスか?と思いつつ『いいんだよ〜』と優しく笑う末口先輩も容易に想像がついて、私は苦笑してしまった。
「あっ、このドット柄可愛い〜!私これでシュシュとかコサージュ作ろうっと!」
「じゃあ私はこれで作ってみます〜」
可愛いものが、作れるかしら。

「えっとここは?どうするんですか?」
肝心の稜悟くんはというと、慣れない手芸に四苦八苦している。
向かい側に座る黒崎先輩が、順を追って丁寧に説明してくれていた。
「慌てなくていいのよ。落ち着いてゆっくり丁寧に」
指先を見つめられてかえって落ち着けない稜悟くんに、クスクス笑ってしまう私たち。
「ちょ、二人とも笑いすぎだから。って!イテっ!」
「ああっ、ほらよそ見しちゃ駄目よ」
案の定針を指に突き刺した稜悟くんに、黒崎先輩が心配そうに注意する。
「血は出てない?絆創膏いるかしら」
「いや、大丈夫です。はぁー難しいですね。なんかこれ、もらっても嬉しくないですよね……」
「そんなことはないわ」
彼のため息交じりの弱音をさえぎるように、黒崎先輩の言葉が被さった。

「ゆっくり丁寧に。まごころを込めるの。それだけで、どんな形の物が出来ても、最高の贈り物になるのよ」

「まごころ……」
小さく繰り返された言葉は、暖かな響きに包まれている。
しばらく黒埼先輩の横顔を見つめて、稜悟くんは気持ちを入れ替えた様子で、再び自分の作品に向き直った。

ひと針ひと針、気持ちを込めてみよう。
大切なあなたへの、大切な贈り物だから。



まごころファクトリーへようこそ





「で〜?誰にあげるんだっけ、稜悟くぅ〜ん?」
「げっ、あっイテっ」
「わあわあ、駄目ですよ音葉先輩っ」
「妹さんにですって。良いわねステキなお兄さんを持って」
「えっあ、そうですかね、あはははは」


はてさて恋は、前途多難のようですが。



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